アルフの思い出 | ||||
1988年4月のこと 夕方仕事先の店に寄ると小さな動物の赤ちゃんがいた 5センチもあるだろうかまだ 目も開いていない 尋ねると知り合いが置いていったが水も飲まないしどうしたものかと困っていたそうだ 幸い持ち込んだ人が知人だったので電話してみると「屋根裏がうるさいので登ってみたら子を置き去りにして 逃げた 処分の前に見せようとしていた」 およその事情がわかり私が引き取る事にした。 家に帰って家内に見せると ととまどいを隠せず「何これどうするの?」 「アナグマって聞いたけど育つかどうか貰ってきた」 それからが大変だった 綿棒にミルク浸して飲まそうとしても全く飲まない 泣き声もださず動かずよく見なければ生きているのかわからない。 二人で格闘すること3時間だったか ストローで 無理やり。 ようやく飲んでくれて一安心 家内は朝までに何度かやったそうで寝不足気味 子供たちは 朝起きてびっくりしたらしい らしいというのは子供たちが起きる頃には私はいない、 帰るのはほとんど深夜の生活で 土、日しか 顔合わさない生活 何はともあれミルクを飲むようになってからの成長は目を見張るものがある 子供たちには山からの預り物だから自分で生活できるようになったら山に帰すからと納得させていたものの その日のことを考えると 寂しい気がする。 |
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どこか連れてってくれ~ お出かけはこのピクニックバスケットにはいります。 |
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娘が当時描いたマンガ これだけが残っていました | ||||
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ようやく猫用のミルク 哺乳瓶で飲めるようになりました 夜中も泣くので3時間おきぐらいで飲ませてます | ||||
ようやく毛が生えてきたけどまだまだ小さいです |
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この頃ようやく目が開いたが腹つかえながらのよちよち歩き |
睡眠はたっぷりとね あはは、腕なんか組んで |
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名前はアルフとつきました これで家族の一員 | ||||
甘えん坊アルフ |
外が大好き |
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なにかおもちゃはないか きょろきょろ | ||||
はい、ポーズ |
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狭い所が好きなんや |
夜、なんか音が聞こえると思ったらいつの間にか抜け出して外で遊んでた |
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三瀬のどんぐり村や七山の樫原湿原にも何度か連れて行ったなぁ | ||||
これはらくちんらくちん |
食べ物はないよ |
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居心地いいなぁ |
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ジャンプが好きです |
でもお母さんのほうがもっと好きです。 |
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動き回れるようになると大変 じゃれ付いてくれるのはいいけど爪が~ 家族全員傷まみれ なかでも一番の被害者は息子 夜中かまってもらうために 息子の部屋に(彼の部屋だけは引き戸で鍵が無い)忍び込んでいたずら三昧 なんせ夜行性なのです このころ テン だとわかった。 食事のときなどおもちゃなど与えておきそそくさとすませる トンカツや肉類のときなど一番近い席の息子が被害者 イスをジャンプ台にしておかずを攫うのはどう表現すればいいのか。 手元の新聞紙を丸めて叩こうとしても逃げられ それではと丸めておいて横においても叩けたためしなし ホンマ はしこい(すばしこい)やっちゃ。 オーディオのスピーカーBOXの布の部分はボロボロ カーテンBOXの上が好きでカーテンも爪あとだらけ 餌はキャットフードだけど正確が大人しくなるようにバナナなんかも与え週に一回はシャンプー 爪を切った後なんかはカーテン登っても1mぐらいでずるずる滑り落ち みんなで笑い転げたのものだ。 |
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そろそろ野生に戻さなければ 近くの山で訓練 はじめのうちは昼に放して夕方お迎え 少し慣れるとお泊り 呼べばすぐに出てくるがなかなか出てこないときもあった みんなで30分も呼んで諦めて帰ろうとしたときに足元にいたりしたときは嬉しさもひときわ。 1週間してから様子見に行き出てきてくれたときはバンザイと言いたかった。 そしてやがて呼べども出てこなくなり これでええんやと子供に納得させるが帰りの車中では無言・・・ 何度目だったか思いつきで餌皿の前に画用紙を置いて翌週行って足跡を確認 アルフのだった。 な、アルフはちゃんと生きてるやろ・・・ 自分に言い聞かせるように。 やはり帰りの車中では・・・・ |
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晴れたら道草 |